エンジュの天使-1

 エンジュの天使と呼ばれる女性が、山間にある小国エンジュに入る。
 その女性は、この国の姫君でもある。
 エンジュは、肥沃な大地を持っている事と幾つかの国の境が交差する交易の要である事で有名な国だ。
 そんな国で天使と呼ばれるその少女は、白絹のような肌に蜂蜜のような黄金色の長い髪を持つ、可憐なプリンセスである。
 何より、彼女の、明るく優しく朗らかで、純真無垢な性格(ともすれば、子供っぽいとも評されているが。)は、国民全体から慕われていた。
 しかし、今はその事が逆に国民に悲しみを与えていた。
 自分達が愛してやまない花が、今、まさに、手折られようとしていたからだ。

 エンジュの隣国の一つに、ゴウラと呼ばれる大国がある。
 軍事力で、覇を唱える国で・・・今、この歴史の中で、もっとも勢いにのっている国だろう。
 さて、この国には、ガイナンとゆう第二王子がいる。
 第二王子とはいっても、既に齢30半ばを過ぎた男だ。
 しかし、未だ誰とも結婚はしておらず、本人は自由な独身時代を満喫しているような人間だった。

 このゴウラのガイナンとゆう男を、父にしてゴウラの国王は、エンジュの天使と結ばせようと画策し、それは成功し、今にいたっている。

 エンジュとゴウラの間で結ばれた同盟・・・それを、血を混じ合わせる事で、より強固なものにと、ゴウラ側からの申し込みがあったのだ。
 ようするに、政略結婚。
 だが、これを断れば、ゴウラ側は、不逞の意思ありと見て、エンジュを侵略しようとする事は明白。
 ゴウラの第二王子とエンジュの第一王女・・・この秤は、けしてエンジュ側にとって損となる話ではない。
 ゴウラは、この地域全体を統括する一番の実力国で、エンジュは消して大きいとはいえない国。
 この話は、エンジュ側にとってみれば、棚からぼた餅が落ちてきたようなモノなのだから。
 何より、エンジュは今、先代の王が死に、エンジュの天使の兄である王子が継いだばかり。
 内政は不安定で、この時期に問題を起こせば、外から突付かれる前に内部で崩壊してしまう危険性だってありえるのだ。

 だから、まだ歳若い青年が下せる判断など、そう多くはなかった。


 「お兄様、お兄様っ。」
 まるで蜂蜜の流れる大河のようだと称される黄金の髪を揺り動かし、天使と呼ばれるに相応しい笑顔を振りまいて、少女が同じ黄金の髪を持つ美しい青年の下へと駆け寄っていった。
 「なんだ、リアナか・・・どうかしたのか?」
 「なんだわ酷いわ、お兄様。」
 そっけない兄である国王の態度、少女はぷぅと頬を膨らませる。
 淑女であれと教育されている筈の姫君とは、思えぬ態度だ。
 「わかったわかった、今日は一体なんだい、妹姫よ。」
 「うふふ、見て、この透かし模様。昨日、アルジェリートから来た商人さんに貰ったものなの。」
 そう言って、リアナは、兄にドレスのレースの部分を見せびらかす。
 青年は、一言『素敵だよ、リアナ』と言い、若者らしい健啖さで、しかし品位を失う事なく料理を口に運んだ。
 「もう、お兄様!ちゃんと見てよ。」
 ふたたび、天使の頬が膨らんだ。
 「勘弁しておくれ、リアナ・・・兄は、政務政務で今日は、何も口にしていないのだよ。」
 『まぁ、それは可哀想。』とリアナは口元に手を当てるが、しばらくすると、また兄に纏わりつきだした。
 「ほら、もう自分の席に戻りなさい。」
 妹は可愛いが、それとこれとは別とばかりに、彼はリアナを嗜めた。
 だが、妹姫は、唇を尖らせて。
 「だって、つまらないんだもの・・・」
 「そう言うものではない、今日はお前のための舞踏会なのだからね。ほら、ミラも困っているよ。」
 急に話を振られ、ミラと呼ばれたリアナ付きの侍女が返答に窮してしまう。
 しかし、リアナに『そうなの?』と問われ、『あ、はぁ・・・』と要領の得ない返事をしてから、『はい、困っています。』と返答してしまった。
 実際、困っていると言えば困っている。
 今日の舞踏会は、リアナの婚礼前の紹介式のようなものなのだ。まだ、ゴウラ側は到着していないが・・・兄王にじゃれつく姿を見て、微笑ましいと取るか、乳臭い小娘と取るかはどうにも不安であるし。それに、今日の舞踏会に招待されているのは、何もエンジュ・ゴウラの人間だけではない。諸国諸侯が、大国とエンジュの婚礼を祝うために、ぞくぞくとやってきているのだ。これには、エンジュを継いだばかりのアルフレッド新国王を値定めるためとゆうのも含まれているに違いない。その王が、たかだか妹一人に手間取っているようでは、どれほど軽視される事になるか・・・今後の国政にすら、関わってくるかもしれないのだ。
 一方で、リアナがアルフレッド王にじゃれつくのは、習性みたいなもので・・・そうそう、直せるものでもないし、既に周知の事実のような感もある。今更、隠し立てした所で、そうそう得になるような事もないかもしれない。
 「さぁ、姫さま。」
 そう言って、ミラはリアナの手を取った。
 そうされると、不承不承でも頷くしかないリアナ。
 「すまないミラ、リアナの事を頼んだよ。」
 離れ間際に、アルフレッドは、ミラにそう耳打ちした。
 その微かに耳元をくすぐるアルフレッドの吐息は、ミラの心臓を早鐘のように変え、頬を薔薇のように真っ赤に染め上げてしまう。
 「むぅ、お兄様。ミラになんて言ったの?」
 「お前がドジを踏まないよう、見張っていてくれとね。今日は、大事なお客さまが沢山いらっしゃっているんだからね。」
 「酷いわお兄様、リアナはもうそんな子供じゃありません。」
 ぷいと顔を背けるリアナに、アルフレッドとミラは思わず苦笑してしまった。

 リアナとアルフレッドは兄妹で、ミラは二人の乳母の娘にあたり、幼馴染になる。
 幼い頃は身分に関係なく遊んでいた。
 リアナは、乳母によく懐いており、その娘であるミラにも懐き、まるで姉妹のようだと、もっぱらの評判であったし、リアナも同じように思っていた。
 幼い頃に母を失くしていたリアナにとって、ミラはよく気がきく優しい姉であり、母のような存在だった。
 だからだろう、ミラの言うことには、殆ど無条件で頷いてしまうのは・・・

 それでも、兄に軽くあしらわれ、ぷんぷんと頬を膨らませながら自分の席に戻っていったのは、いたし方ない事だろう。
 「姫さま、お食事など如何ですか?」
 ミラが、取り繕うように、リアナにそう話かけた。
 「いい、お腹すいてないもん。」
 しかし、繕う暇もないようだ。
 つまらなそうに席に着いているリアナに、何人かの彼女の取り巻きの男性が、ありきたりな美辞麗句を並び立て、彼女に近づこうとするのだが・・・リアナは、それらをまるっきり無視してしまっている。
 ミラはご愁傷様と思いつつ、これでは仕方がないと思った。
 何せ、リアナの機嫌のバロメーターは、兄であるアルフレッドがどれだけ構ってくれたかにかかっているのだ。
 今日の調子からすれば、リアナはきっと一日中機嫌が悪いままだろう。
 もっとも、リアナがその手の美辞麗句を聞き飽きているというのも、理由にはあるのだが。
 幼い頃から、天使だの女神だのと褒め続けられて、その手の言葉に退屈しきっているのだから、彼女は。
 しかし、それでも応対しなければならないと言うのが、こうゆう階級の人たちの辛い所だ。
 リアナは、なんとか失礼のない程度にダンスの申し込みを断ると(もっとも、今日は彼女の婚礼を祝うパーティーであるわけだから、断った所で他意もなく取って貰えるだろうが。)、そっと息をついた。
 「ほんと、つまんないなぁ・・・」
 そう言って、リアナは机の上に突っ伏しそうになる。
 「姫さま、そんな風な態度をなされていると・・・また、来ますよ。」
 ミラのその言葉に、リアナの背筋がシャンとなった。
 「それに、今日は姫さまの将来の旦那さまがいらっしゃるのですから・・・」
 リアナは、その言葉を聞いて・・・少しだけ、表情を翳らせた。
 「旦那さまかぁ・・・どんな人なんだろう。」
 ミラは、どう答えようか、少し迷う。
 ゴウラのガイナン・・・リアナの倍程の年の男で、次代国王である第一王子の直系の弟にあたり、後数年後には王弟と呼ばれているであろうお方。(もっとも、数年前も同じ事を言われていた辺り、現国王がかなりの長命なので、本当に死ぬかどうかは疑問である。)
 実際、政務の殆どは、現在では第一王子が行っているので、いつ逝っても心配はないそうだが。
 ガイナン自身は、国では将軍職についており・・・戦場を駆け回る毎日。噂では、血まみれの巨漢の大男とも、女に溺れた脂肪の塊とか言われていて、あまりいい評判は少ない。
 第一王子との兄弟仲は良いらしいので、国で隅に置かれるような事はないのだろう。(下の王子達とはどうなのかは、聞かないが。)
 もっとも、噂というのは、殆ど嘘というのが相場であり、信頼のおける話ではない。
 しかし、煙は火の無い所には立たないとも言う・・・
 とりあえず、無難に話せる事と言えば
 「ガイナン様は、お国では将軍職を務めていらっしゃるそうです。それから、次期国王である、兄君とも仲がお宜しいそうですよ。」
 「そっか、そこはあたしと同じだね。」
 どこかほっとしたように、リアナの顔から少しだけ翳りが消えた。
 その様子に、ミラもそっと息をついた。
 同時に、この少女が、これからどうなるのか不安に陥る。
 平和のため、国のため・・・御題目は立派だが、やっている事は少女を生贄に、自分達の命を永らえようとしているのと同じ。
 ミラが、その事にほんの少し怒りを感じたその時、大きな声と共に、扉が開いた。
 「ゴウラ王国第二王子ガイナン様、ご到着ー・・・。」

 その男は、脂肪で膨れた腹を抱え、歩くたびにゆさゆさと音がなっているかのようである。そして、人を頭上から見下ろすような視線を持つ巨漢の持ち主でもあった。
 なんとゆうか・・・悪役って感じの人である。
 それは兎も角、アルフレッドは、席より立ち上がると、その男を迎えに近寄った。
 「ようこそエンジュへ、遠路はるばるお疲れでしたでしょう。ガイナン殿。」
 「いや、この度は、かような会にお招き頂いていたと言うのに、遅れてしまい謝らねばと思っていたところだ。」
 二言三言言葉を交わした後、アルフレッドが握手を求め、ガイナンがそれに応じた。
 「皆に紹介させて頂けますか、ガイナン殿?」
 「こちらこそ、よろしく頼む。私は、兄とは違って、こういった席には慣れていませんのでな。」
 はっはっはとお腹をぶるぶると震わせて、その男は笑い声をあげた。

 ガイナンの名を聞き、リアナがはっとなり顔をあげると・・・そこには、お腹の大きな巨漢の男の姿があった。
 その姿を見て、リアナは失望の色を隠せなかった。
 リアナにとって、いつか迎えに来る白馬の王子様というのは・・・吟遊詩人達が歌う物語の勇者や王子のように荘厳で華麗な人物達であった。
 しかし現実は・・・自分の親と同じくらいの歳の男が、その相手だと言う。
 「姫さま・・・」
 ミラの辛そうな声が、リアナを現実に引き戻した。
 「ん、なぁにミラ?」
 その顔には笑顔があった。彼女にして珍しく、天使と評される笑顔ではなく・・・失望を隠すための仮面の笑顔が。
 そんな笑みが、ミラをよりいっそう気持ちを重くする。
 だが、彼女は侍女であり、務めを果たさねばならない・・・そんな使命感だけが、彼女を突き動かした。
 「姫さま、ご挨拶に向かいませんと・・・」
 「・・・そうね。」
 彼女は、ゆっくりと歩き始めた。
 ガイナンを自分の隣の席へと誘うアルフレッドの下へと。

 「初めまして・・・リアナと申します、ガイナン様。」
 彼女にしては珍しく、しずしずと頭を下げる。
 そして、リアナは、正面からガイナンの顔を直視した。
 「ほう、流石は、噂に名高いエンジュの天使・・・なんと可憐で美しい事か。」
 今までに何度と無く聞き飽きた台詞ではあったが、今までと同じようににこりと笑って礼を言う。
 リアナは、何か事あると、こういったように対処してきた。
 そうすれば、大概の事は切り抜けられてきたから。
 話す話題がなくなったのか、二人の間に沈黙が残った。
 気まずく思ったのか、アルフレッドが声を張り上げる。
 「さぁ、今日の主賓のガイナン殿がご到着したのだ、楽士団、何か音楽を。」
 アルフレッドのその声に合わせて、ゆったりとした音楽が奏でられ始めた。
 そして、音楽に合わせて人々が中央の踊り場へと足を運び始める。
 女性を誘う者、強引に腕を取る者・・・そして、アルフレッドが、ガイナンに話しかけた。
 「ガイナン殿、今宵はリアナをお任せしてもよろしいか?」
 「勿論だとも、アルフレッド殿。では、リアナ姫・・・お手を。」
 その外見とは裏腹に、優雅な動作で彼女の手を取り、甲にそっとキスをするガイナン。
 「あ・・・よ、ろこんで・・・」
 リアナは、一瞬だけアルフレッドを見て・・・諦めたかのように、ガイナンに向かって頷いた。

 「アルフレッド様っ」
 「なんだ、ミラ・・・」
 二人が踊り場へと向かって行くのを見届けてから、ミラがアルフレッドに詰め寄った。
 「何故、姫さまと踊って差し上げなかったのです。姫さまは、今日アルフレッド様と踊って頂けると、楽しみにしてましたのに。」
 いつもなら、リアナの最初と最後の相手はアルフレッドと決まっていたのだ・・・そして、彼女は、いつもそれを楽しみにしていた。
 「ミラ・・・あの子は、もうガイナン殿所へと嫁に出すと決まっているのだ。ならば、その役目は、私ではなくガイナン殿に託すのが筋というものだろう。」
 「そんなっ」
 ミラの失望したような顔を見て、アルフレッドの心は思わずやさぐれる。
 アルフレッドとて、可愛い妹の事だ・・・できるなら、好きな男の下へと送り出してやりたい気持ちはある。だが、それ兄としての思いであって王の考える事ではない。そして、彼は・・・若いながらも、一国の王なのだ。国のため、民のため、既に嫁に出すと決めた以上、兄としての鬱積や感情は、自分の中で解決済みなのである。
 「それとも何か、お前はリアナが嫌だと言うから、嫁には出すなとでも言うのか?そんな事をすればどうなるか・・・唯の娘ならともかく、頭のいいお前の事だ。よくわかっているだろう?・・・仕方のない、事なんだよ。」
 アルフレッドのその言葉に、ミラは何も言えなくなった。

 意外な程、立ち振る舞いは洗練されていて、見事といっていい。
 その容姿とは、裏腹に。
 リアナをリードするその手は、踊りの苦手な彼女を見事にフォローしている。
 「踊り・・・お上手なのですね。」
 「・・・こんなもの、上手くても何にもならん。」
 だが、男の言葉は、あまりにもそっけない。
 アルフレッドと相対していた時とは、感情の篭り方がまるで違っていた。
 今は、あまり面白なさげに、つまらなさそうな声だけが、リアナの内に響いた。
 でも、それは彼女も同じだった。
 容姿も性格も合わない、こんな男が相手では、楽しい筈がない。
 (・・・早く、終わらないかな。)
 始まる前までは、ずっと楽しみにしていた今夜の舞踏会。
 兄に早く見せたくてうずうずしていたレースの飾りも、今は色あせて見えてしまう。
 その時、ガイナンの手が動いた。
 腰を抑えていた手が、少しだけ下がった。
 「・・・っ!?」
 「どうかなさいましたかな?」
 「・・・い、いえ。」
 気のせいだ、そう思おうとしたのに・・・ガイナンの手が、再び動いた。
 リアナのお尻を、円を描くように摩ったのだ。
 「っぁ・・・!」
 恥ずかしさで、顔が熱くなっていくのをリアナは、感じていた。
 (・・・偶然なの?)
 疑問に感じて、その事を問いかけようとした時、再びガイナンの手が動く。
 リアナのお尻を揉みほぐすように、ぐにぐにとその手の平でお尻を触り始めたのだ。
 「・・・ぃっ・・・!?」
 びくっと震え、リアナは思わず硬直してしまった。
 今まで踊ったどんな相手も、このような破廉恥な振る舞いをしてきたものはいなかった。
 だが、この男は、何食わぬ顔で、そんな事を仕掛けてきたのだ。
 恥ずかしくて辛くて、思わず目に涙が溜まる。
 だが、男はそんなリアナを抱き寄せ、お尻を揉みくだしながら、体をすり寄せてきた。
 男の体臭が、リアナを包み込む。
 「くく、中々いい身体つきをしているじゃないか・・・リアナ姫。」
 なんと言うか、今まで見せてこなかった感情を、初めて露にされた感じだった。
 それは、何ともおぞましく、不快な感情。
 その姿に、リアナは初めてこの男に恐怖を感じた。
 (や、やだっ!)
 ドンっ・・・
 リアナは、思わずガイナンを突き飛ばしていた。
 数歩下がるガイナンと、震えるリアナ。
 そのままリアナは、会場から逃げさるように消える。
 「ガイナン殿!?一体、何が・・・?」
 「どうやら、私の事をお気にめさなかったようだ。」
 気にした様子も無く、ガイナンはアルフレッドにそう答える。
 「これは、とんだ無礼を・・・妹になりかわり、私が・・・」
 「いや、気にする必要は無い。・・・ま、彼女は、若いのだから仕方あるまい・・・アルフレッド殿も、彼女をそうお攻めになりますな。」
 人のいい顔で、ガイナンがそう言うと・・・安心したように、アルフレッドは笑顔を見せる。
 「今日は、妹殿とのダンスは楽しめなんだが、代わりにエンジュの料理を楽しませて頂くとしよう。」
 「ああ、それでは、こちらへ・・・直ぐに用意させましょう。ここは、肥沃な土地柄で、様々な農産物が取れますゆえ、今の季節などはマッシュルームが最高です。このマッシュルームのスープは、絶品ですよ。」
 アルフレッドの言葉に、笑顔で歓談するガイナン。
 アルフレッドは、ガイナンに調子を合わせながら、ミラにリアナを追うよう目配せをし、それからガイナンを席へと誘った。


 ミラがリアナを追って外へと出ると、中庭で誰かが人待ちげに立っていた。
 誰かしらと、ミラがよく目を凝らして見ると、それはミラが探していた姫君だった。
 「ミラっ」
 すると、あちら側からも気が付いたのだろう・・・ミラの名を呼び、彼女に向かって物凄い勢いで抱きついてくる。
 「姫さま・・・どうなさったのです?」
 ミラは、リアナを優しく抱きとめ、ゆっくりと髪を梳き、リアナの気を落ち着かせようとした。
 だが、彼女は抱きついたまま、顔を横に振るだけで、一向に何も答えようとはしない。
 ミラは、一息ため息をつくと・・・リアナを自室にまで送り届けた。

 ミラは、暖炉に藁をしき、その上に消し炭をのせて、手早く小さな炎を立てる。その小さな炎は、みるみるうちに大きな炎へと姿を変えていった。
 リアナは、ベットの上に膝を抱えて座り、暖炉の炎をじっと見つめている。
 「姫さま、今日はいきなりどうなされたのですか?」
 なんとなく、ミラにもその答えはわかっていたのだが・・・あえて、そう尋ねるミラ。
 だが、リアナは、何かを押し殺すように抱えた膝に顔を押し付け、何も答えない。
 「私では、ご相談相手は、務まりませんか?」
 優しく、リアナを抱きしめながら、ミラはそう囁いた。
 すると、リアナは顔をあげて、ぶんぶんと大きく顔を振るう。
 「・・・怖かったの。」
 そして、そうぽつりと呟いた。
 「あの男に、体を触れられて、手が這いずり回るたびに・・・寒気がしたの。お兄様だったら、あんなこと、絶対にしないのに・・・」
 「だから、逃げ出してしまった・・・と?」
 こくりと頷くリアナ。
 「それに・・・・・・」
 「それに?」
 「ぞっとした、あたしはこれから・・・ずっとこの男と一緒に居なければいけないだなんて・・・」
 リアナの瞳に、涙が溜まる。
 「怖いよ、ミラ・・・」
 リアナは、ミラに頬を寄せ、しずしずと嗚咽を漏らす。
 リアナが婚約すると決まったのは、大分前の事だ。
 今日、相手が来る事も、リアナは承知していた。
 彼女は、こう思っていたのだ・・・大好きな兄が、自分のために選んでくれた相手なのだから、きっと素晴らしい人に違いない、そう歌に出てくるような貴公子のように。
 不安も疑いもなく、彼女は唯そう思って待っていたのだ・・・その日が来ることを。
 だが、実際に現れたのは、生きていたら自分の親と同じくらいの年代の・・・醜く太った男が一人。
 外見だけではない、自分を値定めるようなあの目を・・・リアナは見たとき、一種絶望に打ちひしがれてしまっていた。
 ミラは、そんなリアナの様子を見て、思わず彼女をぎゅっと抱きしめる。
 「姫さま・・・」
 嗚咽を漏らし、震えるリアナを体で感じ・・・ミラは、思わず
 「どうにか、ご破談に出来ればいいの・・・・・・」
 そう呟きかけて、慌てて口を噤んだ。
 今回の婚約には、エンジュの未来が掛かっているのだ。
 リアナを差し出す事で、エンジュは安全と平和を得る事が出来る。だが、ならなければ・・・エンジュに待つのは、絶望のみ。
 リアナには、あのガイナンと円満な夫婦関係を築いてもらわなければ・・・決して、ゴウラとの同盟が成る事はない。
 「姫さま、ガイナン様とは、今日出会われたばかりではありませんか・・・その、ご容姿は、確かにあれですが・・・アルフレッド様がお選びになられた方ですもの、きっと良い所も沢山ありますわ。」
 だが、ミラのそんな言葉に、リアナは激しく顔を横に振るった。
 「そんな事ないっ、だって触れられた時怖かったもの、目は全然優しくないし、人形か何かを見ているようだったわ。まるで、あたしになんて、何の興味がないとでも言うように・・・」
 ミラは、鋭いと思った。
 多分、リアナの言う事は正しいのだろう・・・この少女は、時々人の核心をつくような事を言う所がある。
 ガイナンにとって、リアナという人物は、第一にその立場があり、第二に見目が良ければ尚更・・・多分、彼女の言うとおり、リアナ自身は何も見ていないのかもしれない。
 どちらかと言えば、女の直感として、そんな事をミラも感じてはいた。
 「彼に永遠の愛を感じる事なんて、出来るわけがないわ・・・どうして、婚約なんてしてしまったの・・・もっと、真面目に考えていればよかっ・・・」
 そこで、リアナはわなわなと震える口元を手で覆った。
 「違うわ・・・あたし、何も考えてなどなかった・・・・・・」
 リアナは、突然、今までとは違った調子で、愕然と肩を落とした。
 「・・・姫さま?」
 リアナの突然の変貌に、ミラは思わず眉をよせる。
 「あたし、お兄様の言うとおりにしていれば、大丈夫だと思ってた。きっと、幸せにしてくれると・・・そう思っていたの・・・・・・あたし、自分で何かを考えてなんて、全然してこなかった。」
 リアナは、ぽろぽろとついに涙を流し始めた。
 「自分の事なのに、全部他人まかせにして・・・あたしは、唯着飾ったり、遊んだりしているだけ・・・自分の事、未来の事、何一つ自分で決めたり、考えたりしてこなかった・・・」
 リアナは、今までの自分の人生をどうしようもないほどに悔やみ、嘆いていた。
 最初、ミラは今頃と少し呆れかけていたのだが・・・その様子に、胸が痛み、もの悲しいものが湧き上がってきてしまう。
 ミラは、思わず強くリアナを抱きしめ、一緒に泣いてしまっていた。
 そして、しばらく一緒に泣いた後・・・ゆっくりとリアナは顔をあげた。
 何か強い意志を持って。
 「決めたわ、ミラ。」
 その声の調子に、ミラは思わず・・・
 (っあ・・・もしかして・・・・・・)
 自分の背中が、じっとりと汗ばむのを感じた。
 「あたし、あの人との婚約・・・取りやめにしてもらうわ!」
 そう宣言するリアナには、迷いなど微塵も感じられない。
 (はぁ、相変わらず・・・なんて、潔い性格なんだろう。)
 だが、そうそう感心ばかりもしていられない。
 リアナのこの度の婚約には、エンジュの未来も掛かっている。
 「ですが、姫さま・・・」
 しかし、リアナはミラの言葉を無視して、立ち上がる。
 「お兄様は、何処にいらっしゃるかしら?」
 「もう宴も終わっている頃でしょうし、寝床につかれたのでは・・・?」
 ですから、明日にいたしましょう・・・ミラは、リアナにそう言うが・・・走り出した彼女を止める事など、そう簡単に出来る事ではない。
 「だったら、起こしてもらって、お話するわ。だって、断るのなら、早い方が失礼ではないでしょ。」
 そう言うと、リアナは素足のまま駆け出し始めた。
 呆然と見送るミラ、そして途中で気が付き、慌ててリアナを追いかける。
 「姫さま、姫さまっ、お待ちくださいっ。」
 リアナの靴を手に取り、追いかけるミラ。
 そして、自分の女主人の気持ちの切り替えの早さと頑固さに、思わずため息をつかずにはいられなかった。


 「で、お前は、今回の婚約を破棄したいと・・・そう言うのだね。」
 アルフレッドは、思わず額を手で覆い、静かに息を吐いた。
 「はい♪」
 リアナは、元気よく、しかし強い意志を込めて頷く。
 そんな妹の姿に、アルフレッドは再び息を吐いた。
 「リアナ、お前は何もわかっていない。」
 困った口調で、アルフレッドは諭すように言い、ベットの上で手を組んだ。
 行き成りやってきたリアナは、子供の頃のように、兄のベットに勢いよく乗っかると、無理矢理叩きおこしたのだ。
 側では、ミラがおろおろとしている。
 (慰めようとして、裏目に出たか・・・ミラ。)
 そんな事を思い、瞳を一度瞑り、また息を吐いた。
 「リアナ、ガイナン殿は、そこらにいるただの貴族ではなく王子だ。しかも大国ゴウラの第二王子・・・明日のゴウラを背負って立たれる方だぞ、それがわかっているのか?」
 アルフレッドの言葉に、リアナも頷き返す。
 「ならば、何が不服だ。ゴウラは、これからも大きくなっていく事だろう・・・それに、ゴウラの一族に加わる事となれば、お前の幸福は決まったも同然。これ以上の地位など、そうそう望めるものではないんだぞ。」
 アルフレッドはそう言いながら、思わず眉をしかめていた。
 こういった事は、本来母親か乳母が諭すような事なのだ・・・相手の方に尽くせだの、寝床では男の言うとおりにしていなさいだのという事は・・・
 だが、母親も乳母も、早くに死去している。
 姉であり、母親代わりであったミラにそれを望むのも酷な事ではあろうが・・・(彼女自身、今だ生娘でしかないようではあるし。)
 「お兄様、地位や名誉など、そんなものは幸福には関係ありません!」
 リアナは、兄に訴えかけるように、そう叫ぶ。
 「リアナっ、エンジュの事を考えろ。お前が拒否すれば、エンジュは大国ゴウラに踏み潰される事となるのだぞっ!お前は、王族として、このエンジュを守る使命がある・・・それとも、お前はそんな外交の道具となるのが、嫌だとでもいうのか!?」
 「イヤ。」
 間髪いれずに、リアナはそう答えた。
 いっそ、すがすがしい程に、何も考えず、唯自分の欲求だけを答えにして。
 その様子に、アルフレッドは、思わず頭を抱えてしまった。
 「リアナ・・・いいか、私とて、お前が憎くてこんな事を言っているのではないんだよ。私とて、苦しいのだ、唯の道具であればこんなにも悩みはしない、お前が可愛いからこそ・・・相手は、お前を望み、私はお前を送りださねばならない。これは、お前でなければ、到底なしえない使命なのだから・・・」
 「イヤなものは絶対にぃぃぃ、イヤっ!!」
 子供が癇癪を起こしたかのように、両手をぎゅっと握り締め、感情を爆発させて、そう兄に叫ぶ。
 アルフレッドは、疲れた様子で息を吐き、リアナに向かって片手をあげた。
 「わかったよ、リアナ。」
 「お兄様・・・」
 「明日の朝、もう一度話会おう。朝食に、お前の好きな甘いモノを用意してやる。それを食しながら、今夜の話の続きをしようじゃないか。」
 子供を宥めるように、リアナの頭をぽんぽんと撫でて、終わりとばかりにそう言い付けるアルフレッド。
 「お兄様のぉ、バカァァッ!!」
 リアナは、思わず泣き出しながらアルフレッドの部屋から駆け出して言った。
 その様子に、アルフレッドは思わずため息をつく。
 「アルフレッド様・・・どうにもならないのですか?あれでは・・・」
 「ミラ、お前までそんな事をいうのか?」
 「・・・申し訳、ありません。」
 「いや、いい・・・お前とて、あの子を心配しての言葉だろうからな・・・悪いが、あの子を慰めてやってくれ。」
 「はい、それではアルフレッド様・・・」
 お辞儀をして、出て行こうとするミラを・・・アルフレッドは、思わず呼び止める。
 「なんでしょうか・・・?」
 「いや・・・いつも、すまないな。お前には、迷惑ばかりかける。」
 そんな事ありません・・・そう言いそうになりながら、ミラは侍女らしく頭を下げて、アルフレッドに応えた。

 アルフレッドとて、出来る事なら・・・可愛い妹の事だ、彼女の望む相手と一緒にさせてやりたい。
 だが、時代はそれを許さない。
 歴史は、動乱の時代となり、今は小康状態を保っているが・・・再び血と剣の飛び交う世となるのは、必死だ。
 ゴウラは、エンジュを抑え、その先にいる大国クフィムとの戦争に備えて、着々と準備を整えている。
 ここで、首を横に振れば・・・行きがけの駄賃とばかりに、エンジュの首を落としていくのは必死だ。
 だからこそ、この破格の条件・・・大国の第二王子との婚約などというものは、相手にどのような思惑があったとしても、逃せるものでもない。
 王には、国を、民を守る使命がある。
 それでも、アルフレッドの苦悩は続く・・・妹を差し出してしまった、後悔から。


 リアナは、自室に閉じこもり・・・一人考えていた。
 今まで考えてこなかった分、ずっと、いっぱいに・・・
 少し前まで、ミラもいたのだが・・・なんとなく、ミラも兄に味方しているようで面白くなかったから、扉はあけなかった。その内に、いつの間にかいなくなっていた。
 (・・・寂しいな。)
 世界で、自分だけが孤独のような気がして、ぎゅっと自分の体を抱きしめるリアナ。
 「どうすれば、いいのかな・・・?」
 兄の言う事は、リアナとてなんとなくだが理解しているのだ・・・自分が人身御供となることで、エンジュが平和を得られるとゆう事も。
 それでも、何処か譲れ得ぬものがあるのも、リアナの中にあったのは確かだ。
 「あたしがいなくなったら、この国は・・・」
 滅びる。
 「でも、婚約はイヤ・・・」
 そう、絶対に、何かイヤだったのだ、リアナは。
 予感だろうか、あの男と一緒にいる事で、何かが大きく変えられてしまうような気がして。
 じっと、身動きもせずに、リアナは考え続けた。
 そして、出た結論は・・・・・・
 「決めた、明日・・・この城から、出よう。」
 何よりも、強い決意を秘めて。




めにゅうへ 2へ
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